「クリスマスの夜には」
「よお、いらっしゃい。」
凍える息を、しかし平然とした表情で吐きつつ、長身の青年は
ジャジーなクリスマスソング流れる店内へと、その長い足を踏み入れた。
「…その格好…。ああ、またあのクリスマスパーティーか。」
「…そうだ。毎年、天之橋理事長の酔狂に付き合うのも、いい加減…。」
言いかけた言葉を遮るかの様に、若き店主は一杯のホット・バター・ド・ラムを差し出す。
普段であれば、この青年に出す物はジントニックと決まっていたが、この寒さへの配慮であろう。
差し出したグラスからは、薄い湯気が立ち上っていた。
「…悪いが、今日は遠慮しておく。」
「？……そんなに甘くはないぞ？？」
「いや、そう言う訳では…。アルコールは、やめておこうと思っただけだ。」
「…毎年、あのパーティーには一杯飲んでから行ってたじゃないか。どうしたんだ？」
ふと視線を斜め下へと逸らし、思考を探る様な表情を浮かべる青年に、
店主は何か閃いたかの様な目線を投げ掛けた。
「…何だ？」
「いや、別に〜〜……。」
語尾を上下させ、わざとらしく揶揄する店主。
青年は、その挑発を真正面から受け止めたらしく、既に眉根を寄せていた。
「………何だ？…言いたい事が有るなら、はっきり言ったらどうだ。」
「…………まあ…俺としては別に、言ってもいいけどな？」
物含んだ口調は、更に青年を逆なでする。
「一体なんだ？はっきり言えっ。」
「……言って〜………いいのか？」
そこで漸く、片方の口角をくっと上げて問い掛ける店主の意図を察したらしく、カウンター席の青年は、慌てつつ声を荒げた。
「お前はどうしてそう、何でもかんでもあの事に結び付けたがるんだ？！
俺のクラスの生徒だと、何度も何度も言ったはずだろう！！！」
その叫びにも似た怒号は、大音量で流れるクリスマスソングに掻き消され、
幸いにも、周囲の客を脅かす物足り得ずに済んだ様である。
青年は「何故かカウンター前でぽつんと立っている」と言う自分の状況を漸く認めたのか、
軽い咳払いをし、更に頬を紅潮させながらも速やかに着席した。
「義人、いいか？お前の悪い癖だ。何でも俺をからかうネタにしようとする。昔からそうだ。
何回も注意したはずだが、本当に…」
「…何言ってんだ？お前。」
義人と呼ばれた店主は、そう言ってまたしても引き締まった口角を…
眼前の青年にとっては、非常に嫌な角度へと吊り上げる。
「俺は『毎年、理事長さんに付き合わされて、零一も可哀想だな。』って言おうと思ったんだけどなあ〜〜…。
流石に、俺がそんな事言うのも僭越だと思ったから『言っていいのか』って聞いたんだけど…？」
･･････････嘘だ…。
と、零一と呼ばれた長身の青年は、声無く呟いた。
眼前で満面の…邪な笑みを浮かべた義人を見れば一目瞭然の事では有ったが、
これ以上の墓穴を掘る危険性を無視してまで口にする事ではないと判断し、渋々反論を飲み込んだ。
その様子を楽しげに眺めながら、義人が口を開く。
「…っくっく…。相変わらずだな。お前。」
「……何がだ…。」
「『何がだ』って…。」
皆まで言わず、カウンター下に身を屈める義人。
うずくまりながら、足元の扉に入ったビンを一本一本手にとり、ラベルの確認をしている。
恐らく、零一の為にノンアルコールのカクテルでも作るつもりなのであろう。
零一はといえば、深い溜息をついた後、今さっき旧友の放った何か引っ掛かりの有る言葉すら忘れ去ったかの様に、
店内に流れるジャズアレンジのクリスマスソングを、何とは無しに聞いていた。
一体何が有ったのか…。
彼らしからぬ呆とした様子は、彼の教え子が見たら10人中10人が訝しがる程の有様であった。
1分後、その様をここ最近頻繁に見ていた人物が、ひょこっとカウンター下から姿を現した。
シャツから覗く存外逞しいその腕に、数本の瓶を携えている…。
手際よく左手にそれらを並べたかと思うと、内3本を2：1：1の割合で手早くグラスへと注ぎ、軽くステアした。
もう１本の、少々大きめな瓶に手を掛けながら、義人は眼前の人物へと言葉を投げる。
「『相変わらず素直じゃないな』…って事だよ。」
バースプーンがグラスに当たり、心地良い響きを生む。
数秒の後、零一は先程よりも更に深い溜息と共に、鋭い眼光を義人へと送った。
「さっきからおかしな事ばかり言うな。…クリスマスだからと言って、浮かれてでも居るのか？」
「ばーか。そりゃお前だろ？」
何を言われているのか…。
零一は予期せぬ言葉を把握するのに、少々手間取った様である。
そんな旧友の胸中を知ってか知らずか、細長いグラスにクラッシュアイスを少々放り込み、
義人は平然とした様子で、鮮やかな色合いのシャンパングラスを差し出した。
しかしながら零一は、その反撃を「口から出任せ」とでも受け取ったのであろう。
直後に出た言葉は、平生の余裕を取り戻した物であった。
「…俺が浮かれてるだと？……ふん…全く…。馬鹿な事を…。」
グラスには目もくれず、フッと口端を上げる零一。
その勝ち誇った笑みが消えたのは、僅か数瞬後の事であった。
「浮かれてるだろ、どうみても。」
さらりと言ってのけた義人は、ぎょっとした表情の零一に反論の隙を与えず、更に言葉を繋ぐ。
「毎年飲んでたほんの一杯の酒も飲まないで、お前が好きでもないパーティーに備えているのは何でだ？
車で来た訳でもない。理事長に注意された訳でもない。アルコールが顔に出て、からかわれる訳でもない。
……じゃあ何でだ？」
詰問されているかの様な口調に、零一はやや気おされた様にのろのろと口を開いた。
「…そ、そんな事…。それは…『気分』だ…。…単に…。」
終える間もなく、義人は再度疑問を投げ掛ける。
「最近、必ずその席に座っては延々ぼーっとしてるよな。それはどうしてだ？いつからだ？…覚えているか？」
旧友の立て続けの質問に、零一は珍しく困惑した表情を浮かべた…。
やや混乱していたのか、従順にも記憶を手繰ろうはとした物の、上手くはいかなかった。
暗記を得意中の得意とする彼にしては非常に稀有な事であったが、それもその筈である。
零一自身は、「必ずこの席に座って、延々ぼうっとしていた」覚え自体が、全く無かったのだから。
「あの夜からだろ…？お前がうちに来ると、必ずその席に座ってぼーっとする様になったのは…。」
目の前には、やや口を開け、この上なく呆けた表情の零一…。
「自覚無かったんだな…。やっぱり。」
零一の極めて稀な表情を見ながら、義人は呆れた様に苦笑いを浮かべた。
「お前あの日から、うちに来る度、必ずそこに座ってたんだぞ？
……あの子と一緒に座った、その席に。」
まるで何かのスイッチが入ったかの様に、瞬時に顔を紅に染め上げ、更に口を4分の1程開く…。
それだけが、混乱しきった零一が出来る唯一の所作であった。
「今、酒を飲まない理由だって、大方、アルコールを取らない生徒さんに『酒臭い』って思われたくない、とか。
アルコールが入って本心…いや『変な事』を口走らないように、とか。
……後はまあ…気合入れてドレス姿を見ておきたい！……とか…。
そう言う事だろ？」
あきらかな揶揄を含んだ、最後の「とか」を耳にした刹那、零一は弾かれた様に席を立った。
真っ赤な顔を俯かせたまま、その長い足を全開にして、ずかずかとドアの方向に歩みを進める。
「おい零一！」
無視を決め込んだのであろう、ドアノブに手を掛け、店外への扉を勢いよく開けた。
……そして勢いよく閉めた。
「？」
踵を返し、更にずかずかとした歩調でこちへと歩み寄る旧友の姿に、義人は小首を傾げた。
バンと言う音を響かせながら、カウンターの上に5000円札を一枚置く。
「釣りはいい。」
またしても零一がドアへと歩みを進めようとした瞬間、その長身がぐんと後方へ揺らいだ。
「これ。飲んでけよ。」
揺らぎの原因は、カウンター内から伸びた少々無骨な手が、零一の腕を固く掴んだ所為であった。
その無骨な手の持ち主は「ノンアルコールだぞ。」と言いながら、今の所ニコニコとした表情を崩してはいない…。
…が、何しろ見かけに反した馬鹿力の持ち主である。
腕を掴まれた状態で、言葉無き強要をされている零一からすると、とてもたまった物ではなかった。
「………痛い。」
「飲んでけって。」
「い た い 。」
「飲 ん で け 。」
そんなやり取りが4回ほど続いたが、徐々に迫るパーティーの時間、そして段々と強くなってゆく
腕の締め付けに耐え切れず、零一は細身のグラスを一気に煽った。
「おっ。飲んだな。」
短く言って、掴んだ腕を放す。
義人は、差ほど大きくは無いが独特の清涼感のある眼で、満足そうな弧の字を描いた。
零一は、自ら行なったとは言え、徐な嚥下に少々窮したのか、短く息を吐きつつ呼吸を整えている。
「…ず…随分と甘かったが…。」
「そうか？ちゃんと全部果汁100％なんだけどな。」
もう一度、今度は由来の曖昧な息を吐き、義人へと向き直った。
「………これで満足か？」
「……ん〜…。まあな…。」
義人は何処と無く煮え切らない様な口調で有ったが、これ以上長居をすると、また何を強要されるか分かった物ではない…。
早々に切り上げようと、零一は今度こそ、義人が支配する領域からの逃避を…否、パーティー会場へ向かおうと扉へ歩みを進めた。
「ああそうだ！零一！！」
「…………一体なんだっ！！！」
もううんざりだ、と言った表情の零一に、義人は笑顔のまま答えた。
「メリークリスマス！」
「…？……あ、ああ…。」
少々呆気に取られたが、それだけの用ならば…と、即座に扉へと向き直る。
「って言うんだぞ！ちゃんと。」
……何？
全く忙しい事に、零一は再び目線を180度転換させる。
他人の眼には、短い距離の中でくるくると向きを変える零一の姿は、何とも滑稽に映ったであろう。
反転させた目線の先には、未だ笑顔でカウンターに頬杖を付く義人の姿があった。
「女の子には『メリークリスマス』だろ？ちゃーんと言うんだぞ？」
「…何を言っている…。」
それは今日この日に限り、皆口癖の様に、男女の区別も無く飛び交う筈の言葉である。
「お前、言わないだろ『メリークリスマス』って。俺、昔から一回も聞いた事無いしな。」
「…当り前だ。何故そんな事を一々言う必要がある。」
憮然とした表情も此処までゆけば立派な物…と、つい賛辞したくなる程の表情を湛える零一。
しかし慣れているのか、義人は全く臆す事無く、変わらぬ口調で続けた。
「『メリークリスマス』…。
男が女の子に言う場合は、『貴女と一緒に、この幸せな日を過ごせて嬉しい。』って事なんだぞ。
知らなかっただろ？今年位は、ちゃんと言えよな。」
思えば、馬鹿力で腕を締め上げられ…甘ったるいカクテルを無理矢理飲まされ…と散々であった為か、
一旦は引いていた赤色が、義人の言葉に拠ってまたしても喚起され、零一の顔面を襲い出す。
「それからお前が飲んだコレ。…名前…知ってるか？」
「……な、何だっ…。」
まだ何か有るのか。と言いたげな困惑しきった表情と、それを助長するかの様な赤みとが、
零一の頭頂部を余す所無く支配してゆく…。
「このカクテル。『ファンタスティック』って言うんだよ。
そんな素敵な何かが、今日のお前に起こります様に…って事で、俺からのクリスマス・プレゼント〜…♪」
最後は歌う様に抑揚を付けて、大きな手をひらひらと舞わせる義人。
「お返しは、クリスマスアレンジのバッハでいいからな。今日、帰る前にまた寄ってくれよ。
……勿論、一人で来い。なんて無粋な事言わないからさ。」
全て見透かしておきながら、尚からかおうとする悪友の姿を鋭く一瞥し、零一は無言で店を後にした…。
二本の足を全開にして、会場へと急ぐ。
カウンターに置いた筈の5000円札が、何故か零一の左袖口から
その顔を覗かせたのは、それから10分後の事であった。
＋ ＋ ＋ ＋ ＋ ＋ ＋ ＋
「わあ〜…。雪ですよっ！！氷室先生！」
「ああ。道理で冷えると思った…。」
黒く揺らめくドレスに、白く淡い雪が、この上なく映える。
憂鬱で、しかし心から待ち望んでいたパーティーが終わったのは、今から10分程前であった。
（言うまでも無く、心から待ち望んでいたのは「パーティー」では無かったのだが…。）
今現在、零一の左隣で、雪に気を取られながらとことこと歩く少女。
彼女とのドライブ中に、エンジンの故障と言うアクシデントに見舞われ、馴染みの店へと避難したあの秋の夜は、未だ記憶に新しい。
そして今。
零一は何故か、彼女と共に、徒歩で夜道を行く最中であった。
天之橋邸外門で声を掛けられ、どうしても断りきれずに、3時間程前に最高の居心地の悪さを体感したあの店へと、
またしても彼女を伴って行く事となったのである。
……否、それは何とも稚拙な建前であった。
常から、「名前通り、何事も0と1とで割り切るアンドロイド」等と評される零一である。
一生徒の非常識な申し出など、「どうしても断りきれない」筈が無い。
彼女の瞳を、その声を、ただ一瞬でも長く、一時でも共に…と望んだのは、他ならぬ零一自身であった。
我ながら、何と言う意思の弱さか…。
口端で短く自嘲するも、 零一の心は実に晴れやかであった。
…眼前の彼女の存在…。
ただそれだけが、その要因であろう事は言うまでも無い。
「…どうしたんですか？」
「な、何がだ？」
「いえ、何だか溜息付いていたから…。」
「…そう…だったか？」
「はい。『ふうっ』て。」
突き出した唇を見て、零一は思わず吹き出しそうになった。
彼女はと言えば、その大きな瞳を不思議そうにくるくるとさせて、こちらを見上げている。
その表情を見るだけで、胸に温かな感情が込み上げてくる…。
無意識についた溜息は、自嘲の為か、この至福の為か…。
零一自身にも、正確な判断は付き兼ねた。
このまま彼女と共に店を訪れれば、義人にまたからかわれるだろうが……。
まあいい…。
君と一緒に…ほんの少しでも長く居られるのならば……何処へでも行こう…。
この、視界を柔らかな白へと染める雪の所為だろうか…。
…そんな、平生の自分らしからぬ思いが、自然と頭に浮かぶ。
同時に、ふと悪友の言葉を思い出した。
―――― 今日この日を、貴女と一緒に過ごせて嬉しい…。
素直にその言葉を反芻する。
……気付いた時には、呼び止めていた。
「はい…？」
舞い降る雪に彩られた、黒いドレス。
振り向き様の、ふわり揺れる髪。
そこに散りばめられた、闇に光る粉雪…。
普段とはまるで違う、あたかも光と闇とを溶け合わせた様な、異質な美しさを湛える彼女に、
零一は、この上なく堅固であった筈の心を奪われた…。
「…氷室先生？」
その声ではっと我に返り、反射的に咳払いをする。
自分でも頬の上気を感じた為であろう。目を伏せ、精一杯自然な口調になる様努めながら、
ぎこちなく口唇を動かし、たった一言だけを紡いだ。
「…………メ リークリス・マスっ……。」
＋ ＋ ＋ ＋ ＋ ＋ ＋ ＋
「今頃、一緒にこっち向かってんのかな〜。零一は…。」
先ほどと変わらず、数組の客とジャズアレンジのクリスマスソングが流れる店内には、
一人ごちながら、カウンター下で瓶を並べ替える義人の姿が在った。
上手くいきゃ、今日辺りは連れて来るだろうな。
…後で零一にピアノ弾かせてる最中にでも、生徒さんに聞いてみるか。
本当に「メリークリスマス」って言ったかどうか。
…なんてな。言う訳無いか。
でも…本当に真っ赤になって言ってたりしたら…シャレにならないよな…。
…ま、あいつ英語も得意だったから。それはないか…。
さっきだって、単に気が動転していただけだろうしな。うん。
幾ら生徒さんが絡むとおかしくなるって言っても、さすがに気付いてるよな。
「メリークリスマス」＝単に「クリスマスおめでとう」だって事くらい…。
ほぼ同時刻、天之橋邸から500Mほど離れた地点での、零一の奮闘を全て皆無にするかの様な
「一般常識」を思い返しつつ、義人は一枚のラベルに目を止めた。
指を折り、先ほど零一に差し出したノンアルコールカクテルのレシピを反芻する。
「…あれ。…さっきの…グレープフルーツ入れ忘れた…か？」
ふっと軽く息を吐き、苦笑いの表情のままぽつりと呟いた。
「これじゃあ
『Fantastic（ファンタスティック）』じゃなくって
せいぜい
『Fanatic（ファナティック）』って所だな…。」
それは、クリスマス・イブの雪降る夜道で、何故か真っ赤になりつつ「クリスマスに対する祝いの言葉」を述べ、
それでも最高の気分に浸っている今の零一には、この上なくお似合いのカクテルだったのかもしれない…。
――― 外は雪…。
店に掛かるクリスマスソングも、そろそろ終盤に差し掛かろうとしていた…。
【END】
＋ ＋ ＋ ＋ ＋ ＋ ＋ ＋ ＋ ＋ ＋ ＋ ＋ ＋ ＋ ＋
素敵サイト「らしくない。」（管理人・もち郎さま）から
強奪してきましたメリークリスマスフリーＳＳです。
せんせぇが 主人公ちゃんが そしてマスターさんが出ています♪
これは主人公ちゃんが高校３年生の時のクリスマス話ですね。
ゲーム上では語られなかった部分を書き下ろしてくださった上
好きなキャラに囲まれて 幸せなＳＳでございます♪
もち郎さん 素敵なＳＳをフリーにしてくださって
本当にありがとうございました！！
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